fragrance of syrup

うつ病・HSP持ちのどうしようもない思考記録

本当の自分

うつ病を発症して10年が経つけれど、ふと不安になることがある。今の自分は本当の自分なのか。もしかしたら、うつ病やクスリによって本当の自分はかき消されて、うつ病やクスリによって生み出された人格が今の自分を支配しているんじゃないか。うつ病になる前のクスリなんか一錠も飲んでいなかった自分はどこかへ行ってしまったのではないか。今の自分は偽物なんじゃないか。本当の自分なのだろうか。

偽りでも真実でも、生きていかなければならないことに変わりはないけれど。

あの子に言われた「絶対に死なないでくれ」という言葉だけで今日も生きている。

 

↓ここ数日は、こればかり聴いています 

delaidback

delaidback

 

 

病みつつ生きること

台風21号の影響か、とても辛い数日を過ごしております。胸騒ぎとぼんやりとした希死念慮。低気圧の時は体調が悪い。そんな中で思い出す言葉。

「重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ。 (アルベール・カミュ)」

ツレうつでもあったけど、私たちみたいな人間は病んでいる状態が平常運転なところがあります。治るのが一番だけど、治りたい治りたいと焦って苦しむよりも、病といかにうまく共存していくかということも大切な視点の一つなんだろうな…というわけで、体調悪いときはクスリを飲んで早く寝るに限る。おやすみなさい。明日は動けるといいな…というかそもそも交通機関どうなるんだろう…いっそのこと休みになれば…なんて。低気圧休暇設けてほしい。希死念慮休暇でも可。ははは…はあ。

距離感の大切さ

うつ病を発症して早10年。相変わらず服薬しており、一か月に一度通院はしていますが、会社員としてフルタイムで働く(しかも残業もしている)ことができている自分に驚かされます。数年前はこんな未来は描けなかった…とは言っても、まだまだいろんな人の援助を受けて辛うじてできていることではあるので胸を張って言えることではないのですが…

そんなこんなで10年経ってようやく理解したことがあります。それは「距離感」です。私は今まで家族や元恋人に自分の辛さを分かってほしい、こんな自分を理解してほしいと思っていました。必死で自分の辛さを訴え、相手に理解を得ようとし、そのことが上手くいかないと苦しさが増すという悪循環に陥っていました。しかし、今年に入ってカウンセリングを始め、さらに最近になって付き合い始めた恋人と接しているうちに、ああ、そうかと思いました。他人は結局他人でしかなく、どんなに自分が自分のことを理解してほしいと思っていても、他人は自分を完全に理解することはできません。当然ながら辛い話を喜んで聞きたがるような人間は仕事でもない限り数少ないと思いますし、そのような話を真正面から受け続けているとその人まで倒れてしまう可能性があります。カウンセリングを始めて、自分の心の苦しさを100%ぶつけてもいい存在が生まれたことで他人への要求はかなり薄まりました。それと同時に適度な距離感があると、家族はもちろんのこと恋人とも接しやすいし、友好的な関係を維持しやすいということを実感しました。まあ病状が良好になってきたからこそ余裕を持ってこのように考えられているのだろうなあとも思いますが…仕事環境が変わったこともあり、体力的に辛いことはあっても、精神的にはだいぶ楽です。

うつ病は病気です。精神病だから難しいところはあるけれど、病院はそもそも病気を治すためにあるわけだし、当然ながら精神科医・看護師・臨床心理士とその道のプロが揃っているところです。その人たちの力を借りて今を少しでも生きやすくするということがとても大切なことなんだと思います。そしてそれが結果的に自分だけではなく周囲の人間にとってもヘルシーな生き方なんじゃないかなと思います。

ただ先日、恋人に少し病気の込み入った話をしてしまい、あ、しまったな…と、「重かったよね、ごめん」と謝ったところ、「そんなことないよ、絶対ほかの人には言わないし、そういう話が聞けてよかった」と言ってもらえて、完全に蛇口をひねる必要はないのかもしれないなあとも思いました。少し緩めるくらいならいいのかもしれないな。距離感、まだまだ測っている最中です。

猛省

いくらよくなってきたとは言え、予定を詰め込んではいけないと深く反省した日曜日だった。病人は緩やかに生きるべきなのだ。私達は普通じゃないのだから。隣にいる人が健常だと自分もそうなんじゃないかという錯覚に陥るけれど、そんなことは決してない。悲しいがそれが現実。

生きています

お久しぶりです。だいぶ更新が開いてしまいましたが、生きています。死んでいません(精神疾患のある人がブログを更新しないと死んでしまったんじゃないか…と思うのは私だけでしょうか)。

新しい部署に配属されて、右も左も分からないながらがむしゃらに頑張っています。とても忙しい部署なのであたふたしていると、1日が終わるのがあっという間です。大変ですが、前の部署のことを思えば最高の職場です(今のところ)。異動してみて、前の部署は異常だったんだなあとしみじみ思う今日この頃。

そんなドタバタした中で、会社の後輩(年齢は私より上)とお付き合いすることになり、会社に新たに秘密にしなければいけないことが増えて苦笑いしつつ、なんとか生きています。彼に病気のことを言うときは緊張しましたが、彼は病気のことを分かっているのかいないのか謎ではありますが、それでも、「そんな理由(と言っている時点で、分かってないんだろうなーとも思うのですが)でお付き合いを止めないよ!」と必死で言ってくれてたので少しほっとしました。年上ではありますがとても可愛い人(男の人に可愛いという感情を持ったことがなかったので非常に驚いた)で、家族に大切に育ててもらったんだろうなあと思わせる人柄のよさがあります。だからときどきとてもまぶしい。理系の男子校出身者なのですが、私の周りにはそういう人が少ないので、彼の話を聞いているととても新鮮です。

ここ最近は台風やら季節外れの長雨やらで精神疾患持ちの人にはだいぶキツい気候でしたね。私は昔に比べたら受けるダメージが軽減されており、のろのろペースでもよくなっているのかなあと思いつつも、夏空が見たいな…と願ってばかりでした。

またブログのデザインを変えたり、中身を整理したりしていますが、不定期更新でこれからも細々と続けていきますのでよろしくお願いいたします。

夏が来る

f:id:lovinson20go:20160719155150j:plain

「夏が来る」

 

この一か月パワハラが続き、いろいろと考えさせられました。パワハラってどんどん自信や意欲を吸い取っていきます。心が壊されていく感覚。一時期は自分が全面的に悪いからこういう目に遭うのだという思考が離れず、とてもしんどかったです。今はパワハラを客観視できるようになりました。私にも悪いところはあるかもしれないけれど、パワハラをしてくる先輩も悪いのだ、そう思うとだいぶ楽になりました。あと半月で異動できるというのも心の支えになっています。

パワハラを通して自分が気づくこともたくさんありました。

一つめは、「どんなに相手といい関係を築きたいと思っていても、すべての人と友好関係を築くことはできない」ということ。でもそれは「決して自分だけが原因なわけではなく、相手に問題があることもある」ということ。だから諦めることも必要。

二つめは、「他人に認めてもらいたいという思いに囚われた人間は醜く、情けない」ということ。パワハラを受けてから部署の上司や先輩を客観的に見られるようになったのですが、そういう人が多いことに気がつきました。無論、パワハラをしてくる先輩もです。「自分は〇〇をした」「自分のおかげで〇〇できた」、もうそんな話はうんざりです。そしてその姿の虚しさは反面教師だなあ。認めてほしい!認めてほしい!と思って他人に一生懸命アピールする人間の姿は情けないです。 

学ぶことはあったけど、もうパワハラは嫌だなあ。残り半月が勝負です。

カウンセリング反省会

昨日はカウンセリングの日でした。カウンセラーさんには前回、パワハラを受けた話をしていたので、異動することになりそうだという話と、異動するにあたっての罪悪感や不安感などを中心に話しました。

カウンセリングで話しているときも気づきはあるのですが、いつもカウンセリング終わりに喫茶店に入って、「カウンセリング一人反省会」をすることで気づくこともたくさんあります。反省会と言っても、手帳にカウンセリング記録として、どんなことを話したか、話していてどんな気づきがあったか等を記録するだけなのですが、やってみると頭の中がさらに整理されて新たな気づきを得られるので続けています。

今回、「異動する」という選択肢を選んだことについて悩んでいたのですが、カウンセリング後の反省会で正解だと思えるようになりました。というのも、私の根底にある三大問題思考、「自分が我慢すればいい」「人から認められたい」「完璧に物事をこなしたい」を手放す選択ができたと思ったからです。

異動しないことで引き続き先輩との関係を我慢することを止め、「出世=人から認められる」という考えを捨て、現在の仕事を完璧にこなせていない自分に対していい意味で諦めの気持ちを持つことができたのです。だからこれでいいんだと思います。正直、静かに消えていくことを自分で選んだとはいえ、ちょっとムカつく(私だけ辛い思いしてない?)部分はありますが、納得できたのでもういいです。

あとは残りの時期を少しでも機嫌よく働ければいいなと思います。